劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語 ほむらの七転び八起き

観たので感想等。ネタバレ。
しかし正式名称が長い。















あらすじとかは省く。


救済される少女の物語の再演

序盤〜中盤の流れはよくよく見れば、TV版と似通った展開になっている。


・ほむらの内的世界としての(偽)見滝原。
・「謎」を解くことでの(偽)見滝原からの脱出。
・まどかを守るためにほむらが苦境に陥る。
・一人で戦うほむらをまどか(達)が救う。


人々(魔法少女達、視聴者)が見たかったユートピア的世界としての偽見滝原の「謎」を暴き、汚れ仕事を一身に背負う役どころがほむらである。


非常に単純化すれば、この中盤までの流れは「ほむらが魔女化し神まどかの元に召される」というだけの一本道のプロットだと言えなくもない。
だが、ほむらの魔女化シーケンスにキュウべえを(強引に?)介在させたことで、ほむらは単なる魔女化ではなく「まどかに救済されない魔女化」を選ぶことになる。まどかを守るために。
TV版の諸々があった後の、魔法少女が魔女化の運命を逃れた世界にあっても、ほむらは誰よりも苦しい道を選び取る。それは、TV版のほむらの再演、視聴者が深く共感する「暁美ほむら」その人の姿である。
そして、そういうほむらだからこそ、誰かが手を差し伸べなければならない。だから、神まどかが、さやかが手を差し伸べる。


キュウべえのなんとかフィールドについては、ご都合主義的な臭いはあるのだが、そこは置いておく。
暁美ほむらは、誰よりも苦しい道を選び、それ故に絶望し、それ故に救済される。
少々強引な手を使ったとはいえ、短い上映時間でそういうキャラクターの姿をきっちり見せてくれる。
終盤のインパクトが強すぎるので印象が薄れがちだが、こういう描き方をきっちりやってくるのは素直にすごい。


まどかの奪還シーケンスについて

で、ほむらの口がニィィとなるあたりからの展開。


ほむらがまどかを取り返す、という流れ自体はよかった。


TV版の最後の展開は、結局は人間ほむらの「魔法少女になってまどかと並び立ちたい」というエゴ的な願いに端を発するものである。TV版の「まどかに救われたという思いを抱えて生きていく」というラストもキレイにまとまっていたが、それはそれとして、「全てを取り戻す!」というのも熱血展開としてアリアリである。


「叛逆の物語」というサブタイトルや、初期のイメージカットの天を見上げるほむらという絵面から、ぼんやりとだがそういう展開を期待してた。
なので、終盤でそういう展開になった時、キタ━(゚∀゚)━! と思った。



ただ、ほむらがまどかを取り返す手順が「作品世界内で奇跡的なこと」になってしまっていたのは少々気になった。


TVシリーズでのまどかの神化の手順は、現実基準で見れば奇跡的ではあるが、魔法少女になるのと引き換えに一つ願いを叶えられるという最初から提示されていたルールに従ったものであった。つまり「作品世界内で可能なこと」であった。
まどかの神化のシーケンスが美しかったのは、作品内論理的に可能であると認められる手順に則っていたから、そしてそれ故にその手順を実施した「決断」の特別さが際立ったから、と言える。


一方で、今作でのほむらは、文字通りの「奇跡」によって、悪魔になりまどかを奪還するという「決断」を実現してしまっている。確かに、魔女化〜戦闘のシーケンスを終えて、神まどかと再開する流れからのどんでん返しになったため、びっくり箱的な驚きはあったが、ほむらの「決断」を特別とみなすにはロジックとしては弱いのではないか。つまり、エゴを通すことで「奇跡」が起きて魔女でなく悪魔になれるんだったら、悪魔になりたかった魔法少女なんて過去にわんさかいたのでは、ってことである。


……まあ、「まどかを取り返すためならば、まどかによる救済すらもはねのける」というのは、苦しいの上のさらに苦しい道なのかもしれないが。苦しさがインフレ気味である。というか、ほむらさんノリノリで楽しそうだったような。


ほむらの得た風景

で、悪魔になった結果、ほむらが何を得たか、である。


序盤のほむらの魔女結界内の世界と、最後の悪魔ほむらによる改変後の世界は、よくよく見ればほとんど差がない。
どちらも「まどかを取り戻したい」というほむらの執着が反映された内的な世界である、と言える。
つまり、(その成り立ちに差があるとはいえ)ループしている。


ラスト付近で、人間まどかが神まどかに覚醒しそうになるシーンが描かれる等、改変後世界は不安定な世界であることが示される。いずれこの世界も決壊し、ほむらは再び絶望しなければならないのかもしれない。


叶わずとも叛逆をし続けるということが相応の対価を求めるのであれば、仮構的な世界を築いては崩し築いては崩しを繰り返すことは、人間ほむらが逃れられない罪と罰なのかもしれない。
永遠に繰り返すことを厭わないという形でのみ表現できる執着の強さ、というものもあるか。


ホムラチャンは這いつくばってのたうち回っている姿が一番カワイイ! ってまど神が言ってた。


まとめ

難癖はつけたが、シナリオ・映像コミコミで「暁美ほむらの世界」として描かれたものには圧倒されるだけのパワーがあった。


映像は、圧倒されっぱなしだった。ちょっと疲れたくらい。


ホムラチャンのネタキャラ化加速待ったなし。


以上。