『もっとTo LOVEる』 6-3 「恋愛マスター♡」 洗練された物語の型として

タイトルはアレなのだが、ムムムとなったので書いてみる。

あらすじ

・ララが恋愛マニュアル本を入手。
・マニュアルに従ってリトをデート(帰宅がてらの寄り道)に誘う。
・マニュアルに従い、不思議ちゃん、ツンデレ、お色気などのキャラを駆使してリトに迫る。
・お色気キャラで陥落寸前まで行くものの、「この先どうすればいいんだろ?」となり終了。
・リト困惑、不機嫌。帰路、落胆するララ、何故か涙が流れ驚き立ち止まる。
・帽子、こっそりリトにネタばらしをする。
・リト、気を利かせて「今日は楽しかったなー」とフォロー。
・ララ、嬉しくなりリトに抱きつく。


あらすじにして、改めて見ても、起承転結がしっかり決まっている。


当初の印象

印象的なのは、やはり「転」の部分。
「この先どうすればいいんだろ?」 → 涙 というシーケンス。


ララの「明るくて『内面』がない」というキャラクターにおいて、外面的な「涙を流す」という現象を無意識に行わせることで、本人に自覚されていない「内面」を描写する、というのは上手いな、という感じに思った。
斬新というわけではないが、使うべき技法を使うべき時に正しく使っている印象。


で、この流れで、お色気キャラで迫るシーンの「この先どうすればいいんだろ?」については、外面的な行為主導でリトにアタックするララが、行為のネタが尽きた時、自分の「内面」の無さに気付くシーン、という見方ができるのでは、と思った。


だが、この切り口だとどうも、ラストのくだりが釈然としなくなる。
ララの「内面」のなさは、リト、帽子にフォローされて、ララはまた元の自分に戻る、というような、どうも締まらないオチになる。

それに、ララの「『内面』のなさ」については、比喩的な文脈や、キャラクターの一要素として語るには使えるが、キャラの主軸として使うには、つまらない。
そもそも、ララには「リトが好き」という「内面」が存在する。正確には、「内面への自覚が希薄」と言うべきで、本質とは言い難い。


再考

で、ひとつ着目すべきポイントは、マニュアルに従っていた時のスキンシップと、ラストシーンでのリトへの抱きつきとの対比ではないか、と考える。
ラストシーンの抱きつきは、正しく、ララの「内面」から自然に発した行為である。これに対してマニュアルに従ったスキンシップは、行為が先行しており、「内面」を置いてけぼりにしている。
まあ、手段と目的が逆転、というパターンである。


とまあ、「手段と目的」という軸から見れば、まあ、ぴったりと収まる。


・マニュアル
  → 体系化された外付けの手段
・お色気シーンの「この先どうすればいいんだろ?」
  → 手段の消化に気を取られ、目的(≒自分)を見失った状態。
    マニュアル外のことができなくなってしまった状態。
・帰路での涙
  → 自分を失ったこと、マニュアルに自分を奪われたことに対する、「内面」からの反抗。
    「内面」(≒気持ち)を体で表現できない状態に対する悲鳴。
・リト、帽子のフォロー
  → 悪い魔法にかかった状態のララを、解放し本来の姿に戻してやる行為。


で、ラストの、本心からのリトへの抱きつき、につながる、と。 
ララの突然の涙が「内面への自覚のなさ」故にもたらされるものではある、という点は変わらないのだが、これはあくまで脇役に留めておいた方が収まりはよい。
ただ、コメディ的な流れ(例えば転んでマニュアルを落とすとか)にもできたはずのところで、夕日を背景に涙でシメる所の演出・構成・展開は見事。


まとめ

「手段と目的」という軸は、物語パターンの頻出のひとつであると思われるが、今作はこのパターンの、とても優れた実装になってるかなと思う。
なんか、書いてて「人魚姫」を思い出した。あれもまあ、手段によって自分を失う話になるのだろうか。


こんな感じで、軸を据えてからが…本番…。
録画…してるから、いつか、きっと…見る。