「おおかみこどもの雨と雪」 母と子と、そして母の物語

観てきた。
良作。


タイトル、イメージからは内容が想像しづらい映画ではあったが、見終わった後で振り返れば、確かにあのイメージはとても正しいと思わせられる。
これから母親になる少女の物語、「特殊な」事情を持った二人の姉弟の物語、そして母親になった少女の物語。そういうイメージだったのだと。


以下、ネタバレ込みで内容など。

中盤まで

中盤くらいまでのあらすじは…

大学生の花、大学で狼男(普段は隠して人間として振舞っている)と出会い、恋に落ちる。
狼男は自分が狼男であることを明かすが、花はそれを受け入れる。
そんなこんなで子供ができる。
しかし、弟の雨が産まれた直後、狼男は水の事故で他界。
花は姉弟を一人で育てるが、都会で育て続けることに限界を感じ、狼男の遺した写真を便りに田舎に移り住み、そこで子育てを行う。


という感じ。


ここまでは結構サクサクと進む。
主人公の花のキャラクターは、自活している文系の真面目な女子学生で、授業とバイトが生活の全てになっている。目立った人付き合いをしている描写もない。親戚関係の説明はなく、父が亡くなっているということだけが示される。
花と狼男の、二人だけの世界にグッと焦点が寄った序盤。


花の子育てシーンはただただ目まぐるしく展開する。
この姉弟人狼ということで、普段は人形態だが狼形態になることもできる。
幼児の頃は、この辺のコントロールが上手くできず、花が扱いに苦労する様が描かれる。
そして、人狼であることを隠しての子育てに限界を感じ、花は田舎への転居を決意する。


田舎では、ボロ屋の修復、畑づくり等、生活をするための花の奮闘が引き続き描かれる。
花は村の人々と信頼関係を築きつつ、徐々に生活を軌道に乗せてゆく。


この後、子供が小学校に上がる段になってから、物語の焦点は花から子供たちの方へと移ってゆく。


姉弟それぞれの道

作中、花は「狼の子はどうやって育てればいいのかしら?」と言ったり、体調を崩した雪を小児科に連れて行くか動物病院に連れて行くかで迷ったりと、子供を狼として育てる可能性を自分の中に残している(よく考えればこれは少々違和感のある意識なのかもしれない。後述)。
そして「人間になるか、狼になるか、自分の道は自分で決めて欲しい」という主旨の発言をしたりもする。


人間として生きるか、狼として生きるか、これが姉弟に科せられた選択となる。(そしてその選択の在り方を視聴者に示すために彼等は二人なのだ、と)


姉の雪は、幼少期はお転婆で、狼の姿で活発に動き回っていた。
学校では社交的な性格からすぐに周囲と打ち解ける。そしてそれ故に、自分が人狼であることを強く意識するようになる。
学校でのエピソードは彼女を中心に回る。彼女はある事件を起こし、苦しむ。それを乗り越えて、人間として正しくあろうとする様が描かれる。(そして、本作のナレーションは、最初から彼女の人語によるナレーションなわけで)
こちらは人間の道である。


対する弟の雨は、幼少期は大人しく、姉のように山に積極的に入る性格ではなかった。
学校には入るものの、雪のように友達をたくさん作ることもなく、数年で不登校になってしまう。
そしてどうなったかと言えば、山の「先生」に師事し、山に生きる狼としての経験を積み重ねていく。
こちらは狼の道である。


作品の一つの軸を成すのは、この二つの可能性の選択という命題である。
雪と雨は、人間か狼か、で一度激しい取っ組み合いの喧嘩をする、狼の姿で。
喧嘩の後、雪は人の姿に戻って涙する。


そして母の物語

二つの可能性を持った二人の子供。
二つの可能性の舞台(人里と山)、それぞれへの接続を可能とする家。
二人の子供と家を守る母。


二人の子供は既にお互いの進むべき道を見つけたように見える。後はそちらに進むだけ。
予感されるのは別れである。特に、狼の道を選んだ雨と、人間の花との。


それぞれの道を選ぼうとする子供を前に、母は何を思うのか。
作中にあるのはただ子を守ろうとする母の姿である。


そして決定的な転機は豪雨の日にやってくる。
豪雨の日、雪はいつも通り学校に向かうが、雨は「山に行って「先生」の後を継がねばならない」と言って山に向かう。花はカッパに長靴で雨を追って山に入る。雨に打たれて、何度も転びながら、雪の迎えにも行かずに何時間も。そして谷から滑り落ち気絶。うわ言で「雨を守る」と言い続ける。


この時、視聴者は違和感を得る。「雨はもう立派な狼だから心配することはない」「狼の足に、花の歩きで追いつけるわけがない」と。
だが、狼として成長した雨の姿を知っているのは視聴者だけである。花は、雨と「先生」が山を駆ける姿を、その速さ・たくましさを知らない。
ここに、花と視聴者との間の決定的な距離がある。雨と雪の姿を追う間、視聴者の目に入らなかったもの、花の母親としての心情が。


そしてその距離は、雨に助けだされた後の花のセリフによって一瞬でゼロになる。
「私、まだあなたに何もしてあげられてない」


ここが発火点である。長らく花を離れていた物語の焦点は、この瞬間に花の元へと帰ってくる。
この言葉に、雨は一瞬きょとんとした顔をしてから涙を振りきって山へ駆け出す。そしてただただ雄叫びを上げる。
これが親子の別れとなる。


この後は、雪が全寮制の中学に行ったというエピローグが語られ、家には花が一人残る。
作品を振り返れば、子育てから子離れまでという比較的長いスパンの物語である。
子の選択の物語でもあるが、同時に、それ以上に母の物語であった、と言えよう。


その他

と、いう感じで、最後のセリフでグッといかされてしまった。
母→子→母 という焦点の移動、という説明でまとめてみたが、そんなに言語化して考えながら観てなくても、何となく違和感あったところで、「あっ」と思わされるセリフだったと思う。
この一点が全て、というところ。素晴らしい。


親と子の物語としては、まさに、というところ。
設定は、人間対自然のような構造にはなっているが、本作であまりそこを突っ込むべきではないのではという印象。


花のキャラクター造形については、改めて見なおせば、若干不自然と言えなくもないかもしれない。
本作の主人公として設定が「適切すぎる」、人格が勤勉で清廉すぎる、と。
前述したが、人間の花が、我が子に対して狼としての生き方の可能性を考えてやる、というところは、過度に「公平」すぎて、人間的でないとすら映る。
しかし、それ言ってたらキリがないかなと。


あと、気にされそうな点は、事件が比較的小粒だったことか。
例えば、豪雨のくだりは、「花が濁流に巻き込まれて流されて岩場か何かで立ち往生している(それを雪が見ている)ところに、狼の雨が颯爽と現れて花を助けて去っていく」みたいにすれば、分かりやすいクライマックスになったのかもしれない。別々の道を歩んだ二人姉弟が力を合わせて、とかいう展開にすれば、まあ話は落ちる。
ただ、「そういうことじゃないんじゃない」という感があったんじゃないかと思う。
小粒なありふれた事件を、丁寧に、忘れがちな何かを思い出させるように、語る、という。
そういうやり方を本作では通したのではないか、と。


そういうわけで、実に良作。