こないだの新さん講演を咀嚼…

こないだの新さん講演の記事を咀嚼してみる…
iPhoneアプリ,ソーシャルアプリに見る2010ゲーム開発の潮流〜 価格と価値の適正バランスはどこに向かうのか」
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20100217037/


4gamerITmediaでまとめ方が全然ちゃうがな…。
ITmediaは必要以上に煽るなぁ。「パッケージ市場崩壊、iPhoneアプリももうからない」 て。
4gamerの方は記者コメント含めて同意。


以下、主にコンテンツデフレの件について自分の咀嚼分。

この件で危機感を持つべき人は誰か?


コンテンツ屋。ユーザーはとりあえずは困らない。
新興のプラットフォームにユーザーを取られる、という意味では従来型のコンテンツ産業従事者。

コンテンツの種類について

「コンテンツ」の定義を「娯楽用途(=非ビジネス、非生活必需)で消費する情報」とする。
(発信も受信も含まれ得るが、比率的には受信が高い)


質の観点から2種類に分けてみる。


1.クリエイターコンテンツ(CC)
 製作者と消費者が明確に分かれる。
 製作者は通常は仕事として作成し、「完成品」としてコンテンツを提供する。
 TV、映画、小説、漫画、楽曲、ゲームなど。


2.ユーザー生成コンテンツ(UGC
 製作者と消費者が明確に分かれない。(システム提供者と利用者は分かれるが)
 製作者は強制によらず自主的にコンテンツを作成する。(なのでいつでも止められる。)
 コンテンツを作成するためのシステムがサービスとして提供されるケースが主。(多くの場合無料で)
 2ちゃん、Blog、twitterSNS、二コ動?、おしゃべり、電話、メール。


CCとUGCの要素を両方含むものもある。対戦ゲームとか、MMORPGとか。
どちらの側面が強いか、サービスがどちらの側面に依存しているか、を考慮すること。
以下、CCの要素が強いコンテンツを単に「CC」、UGCの要素が強いコンテンツを単に「UGC」と呼ぶ。

で、上記区分は質的な区分である。
コンテンツがどういう流通経路を取るか、商品として販売される場合の価格がどうなるか、等はまだ考慮外。
製作者がアマかプロかも関係ない。

CCとUGC

CCとUGCは消費者の可処分リソース(時間、空間、金)を取り合う、という意味で競合する。
だが、質的な差があるため一方が一方を完全に食い潰す、ということは起きない。
言い換えれば、ユーザーがどちらか一方だけで完全に満足することはない。


質的な差とは何かと言えば、クオリティと量、多様性である。
CCの方がUGCよりコストがかかっておりクオリティが高い。
UGCの方がCCより絶対量が多く、多様である。


良し悪しではなく質の差。
「おしゃべりも楽しいし、映画も楽しいね」程度の話。

で、コンテンツデフレの件

上記の話を踏まえて、

・ UGCが台頭してもCCが無くなることはない。
・ CCの価値が劇的に変わることもない。

という認識を前提として置きたい。


要するに、コンテンツにはかけたコスト分の潜在的価値は含まれる、ということ。
(価値はユーザーに評価されて初めて発生するので潜在的と言っておく)


100円のiPhoneアプリは、7000円のパッケージゲームや、1800円の映画や、2500円の本と、ユーザーの時間の取り合いという意味で競合するかもしれないが、質的な差があるので完全に取って代わることはできないし、それらの潜在的価値を押し下げられるわけでもない。


現行のパッケージゲームの潜在的価値は5000円前後ということで変わらないと思われる。これ以下の値段では同じ物は作れないというか。
オンライン配信等の流通面の変化や、広告連係などの売り上げ獲得手段の変化で、エンドユーザーへの販売価格を下げる工夫は可能だが、5000円くらいという価値・価格は基準としていいと思われる。



これが前提。

で、考慮すべき点はこの辺。


1. ユーザーの可処分リソース配分はどのコンテンツにどの程度行われるのか。(地域、年齢、グループ毎の検証)
2. 特定のメディア上のコンテンツにおけるクオリティの最適値はどこか。
3. 流通、ユーザー数を考慮してのコンテンツの価格の最適値はどこか。


▼1.ユーザーの可処分リソース配分

時間、空間、金…。
特に時間は、「有限だが消費されなければならない」リソースである。


ということで、時間消費コンテンツについて、ユーザーのコンテンツへの向き合い方によって以下に区分する。


 趣味   : 積極的時間消費。他リソースの消費も厭わない。
        期待するリターン(感動、征服欲、自尊心充足、食欲、性欲など)が大きい。
        導入障壁(コスト、スキル)は比較的高くても許容される。

        
 暇つぶし : 消極的時間消費。他リソースの消費はなるべく減らしたい。
        期待するリターン小。
        暇はあらゆる状況で発生し得る。暇つぶしの手段は状況による制限が少ない程良い。
        導入障壁は低いほどよい。


流動性が高くパイの奪い合いが起りやすいのは、当然ながら暇つぶしの方である。
売り上げにつながるかは別として、期待されるユーザー数もこちらの方が大きい。


趣味の方は、小規模な市場が並立する形になる。
参入ユーザーの取り合いは起り得るが、流動性は低い。
売り上げにはつなげやすい。


これらのユーザーからの要求に対応するに、コンテンツを軽量級CC、重量級CC、UGCに区分する。
(軽量級と重量級の区分基準はユーザーの払うコスト)


一昔前の携帯、ネット普及前の状況を考慮すると…
UGCはアナログで、流通性に乏しい。
CCは放送、映画館、書店、ゲーム屋、ゲームセンターで流通。
暇つぶしユーザーの選択肢が軽重CCしかなかったと言える。
作品として残るタイプのUGCは趣味ユーザーしか入れなかった(多分)。
パッケージゲームは、技術的新規性、消費できる時間の長さから、暇つぶし向けコンテンツとして優秀だったはず。


携帯、ネット普及後の状況を考慮すると…
UGCのデジタル化で、暇つぶし用途のUGCが台頭。
基本無料、更新され続ける、デバイスを選ばない(或いは、最も手軽なデバイスである携帯から使える)という特性がマッチする。
CCの方は、ネットに対応した新しいコンテンツ作成が試みられたり、
ネットに対応しての流通改革を模索。
パッケージゲームは、技術的新規性が目立たなくなり、コストの高さが足を引っぱる。
暇つぶし用途で選ばれるべき強みは相対的に低くなり、趣味ユーザーによる積極的な選択を受けるための価値の付与が必須となってくる。


…といったところ。


UGCの手法は、暇つぶしユーザーの大量獲得、及び、一部ユーザーの趣味ユーザーへの昇華である。
軽量級CCの手法は、暇つぶしユーザーへの最適化である。


では、重量級CCに取れる手法は…
・ 暇つぶしユーザーを取りこむための価格低減。導入障壁の除外。
・ 独自の価値の創出。ユーザーへのアピール(UGC、軽量級CCも使って)
くらいしかないわな。


だいぶ当初のお題とずれてきたが、まとめると、


・ 暇つぶし用途のコンテンツ消費は無料系、低価格系にかなり取られる。これはしょうがない。
  だが、あらゆるコンテンツが価格を下げないと売れなくなる、ということもないと思われる。
  質的な差は大きいので。


・ 趣味用途のコンテンツ消費は、これはこれで残る。
  いかに火を絶やさないか、限られた範囲内で拡大するか、全く新しい機軸の創出につなぐか、が大事。
  コンテンツの中身以外の点、流通、プラットフォーム、での工夫も要る。


かと思う。



(1/3なのに結論めいたことになってしまった…)



▼2.特定のメディア上のコンテンツにおけるクオリティの最適値

最終的には各メディアの特性に応じた価値の最適化が行われ、それに見合ったコストのかけ方がされないといかんだろうなぁ、という話。
回答は無数にあると思われる。


例えば漫画単行本だったら、
・ 四半期に一冊。モノクロ。500円。
・ 1.5年に一冊。フルカラー。1500円。
のどっちにもユーザーにとっての価値はある。


では…パッケージゲームは…今度。



▼3.コンテンツの価格の最適値

2と似たような話。
結局パッケージゲームの7000円という値段が適正値なのかどうか。
XBLAとか、WiiWareで価格対中身を模索する試みはされてるが…。


今度。



パッケージゲーム屋はどうすればいいか

パッケージゲーム市場が縮小し、淘汰が起こるのは、そういう傾向として受け入れる。
守りの対応と攻めの対応がある。


▼守り
重量級CCとしてのパッケージゲーム、及び周辺文化を守る。
流通面の改革やら、よりコンテンツ配信に適したプラットフォームの選択(or 構築)も必要。


▼攻め
別にパッケージゲーム屋はゲームだけを作らんでもいいので、
システムやらサービスを作って売る。
強力なクライアントアプリ作成能力が強み。


というか、携帯電話が普及しきって老若男女がネットを利用したサービスを受けられる、というかってない状況。
ものつくり屋としては、乗るしかないこのビッグウェーブに、ではないだろうか。

反省点

結局いつもの原理・原則論なので、出発点にしかなってない。
でも具体的な調査し出すとまとまる気がしない、というかそれはもう仕事だろ。