戦国コレクション17話 劉備回 「名」と歪み

巻き戻って劉備回。
戦コレにおける「名」=秘宝という主題について、改めて見ると意味深な回だったなぁ、ということで色々まとめる。


ブタの呪い=秘宝

本話は、タエ婦人と家政婦・劉備が徐々に打ち解けていく、というお話として普通に見てうんうんとうなずける出来になっている。が、一見して、以下の点について疑問が残るのではないか。

・ 劉備になぜブタの呪いがかかっているのか。
・ 呪いと秘宝が関連しているのは何故か。
・ なぜ信長には呪いを解くことができたのか
  (劉備に解けなかったのは何故か)。


劉備が、人間とブタとの二つの姿を持つことは、タエ婦人の心を開く上での物語上のギミック要素である、と理屈をつけることはできる。が、ならば何故それは秘宝と関連しているのか。そして信長には解くことができたのか。


ブタの呪いは、明らかに本話の一つの軸である。これを読み解くにはどこを見るべきか。
ひとつ、本話で印象的なのは、ラストシーンでのタエ婦人と劉備のやり取りである。
タエ婦人の甥たちの前に立ちふさがった劉備は、「私は、この家を守る家政婦です」と名乗りを上げて、甥たちを追い払う。この後の会話、

タエ:ちょっとアンタ、さっきのセリフ、もっとマシにならなかったのかい
劉備:じゃあ、私は…この家を守る家政婦、兼、タエさんのお友達です!
タエ:ん、まあまあかね
劉備:はい。ありがとうございます!
   (Fin)

この、甥が登場するラストシーンの直前は、劉備の秘宝が信長に奪われる(=ブタの呪いが解ける)シーンとなっている。
タエ婦人によって一度訂正され、二回行われた劉備による名乗り。秘宝=呪いから解放された劉備は派手なアクションと共に堂々と、満足気に名乗りを上げる。
この充足は、タエ婦人との交流によってもたらされた。それは確かにそうだ。そして、並行して、秘宝を奪われた=呪いが解けたことによる充足でもある。
劉備の名乗りに秘宝がどう関わるのか。
本話中で、劉備の「名」はいかに語られたか。



劉備」という「名」

本話中では、劉備は献身的な家政婦として振る舞う。
劉備は、自分が家政婦であることに自覚的であり、度々「家政婦」という語を名乗りに使う。
アバンの派遣先の家で、「家政婦ですから、このくらい」と。
タエ婦人の家で、台所に入る際に、「私は家政婦です。雇い主の健康第一!」と。
夜食に添えた手紙で「家政婦・劉備」と。
そしてラストシーンでの二度の名乗りで。


だが同時に、劉備は「劉備」という名を負った人物でもある。
劉備自身が自らを「劉備」と口に出して言うことはほとんどない(電話に出た時に一度)が、置き手紙には「劉備」と書いており、また、タエ婦人に出した履歴書には「氏名:劉備 職歴:蜀国、乙女皇帝」と書いている。
また、周囲の人々も、彼女を「劉備」「劉備ちゃん」と呼ぶ。アバンの派遣先の家庭の奥さんも子供も、家政婦事務所のおばちゃんも。
ただ、タエ婦人一人だけは、彼女を「劉備」と呼ばなかった。


タエ婦人と劉備の初対面のシーン。
一度水をかけられて追い出されてから、再度ベルを鳴らす劉備

タエ:しつこい!
劉備:家政婦事務所から参りましたー
タエ:家政婦? そんなヒラヒラした格好でかい?
劉備:これ、私の履歴書と、紹介状ですぅ。
   (氏名:劉備 職歴:蜀国、乙女皇帝)
タエ:劉備? 蜀国の乙女皇帝?
劉備:はい、よろしくお願いします。
タエ:どこの映画の設定だい。この大嘘つき!
劉備:うぅ嘘じゃありません。本当に戦国世界で働いてたんですぅ。
   私を、必要としてくれる人のために。
タエ:なぁんてひどい偽善者ゼリフ。やりなおし!
劉備:わかりました、どこからやりなおしましょう…
タエ:全部だよ。
タエ:だいたい私は家政婦なんて要らないんだよ。
   さっさと帰りな。

劉備」「乙女皇帝」という劉備の「名」は、「映画の設定」のようだと言われ、虚事として拒否される。元は映画女優であったタエ婦人によって。
タエ婦人と劉備の関係において「劉備」の名は希薄化される、されてゆく。


家政婦クラッシャー・タエ婦人は、元女優という設定である。
彼女はブタの劉備に、

言葉なんてただの音、セリフと一緒で嘘ばかり。

と独白している。
タエ婦人のこの視線は、強大で異質な「乙女皇帝」「劉備」という「名」を虚ろなものとして否定する。
あらためて見れば、これは「正常」な態度なのだ。
街の、普通の人々が、若い女の子を「劉備ちゃん」と自然に呼んでいることの方が「異常」なのだ。


「異常」とは何か。家政婦を自認し、家政婦として生きている女の子が、「劉備」「皇帝」という「名」を負っていること。その「異常」さは、これまでの話に出た他の武将たちと比べてすら異質に見える。歪んでいる。ならばこれを「呪い」と呼ぶことに不思議はないのではないか。


解放と獲得


タエ婦人の家は、言葉を、「名」を解体する場であった、と言える。
「皇帝」の「名」を一笑に付した、劉備を「劉備」と呼ばなかった彼女の前で、劉備は家政婦として過ごす。家政婦として人に接する。彼女自身が見出した自らの本質を純化させてゆく。「劉備」の名を排除した、二人の場が構築されてゆく。
ではタエ婦人こそが、劉備の呪い=「名」を解いた、と言えるのではないか。


ならば、信長の来訪については、「信長がやって来て劉備の呪いを解決した」ではなく、「劉備の呪いが解けていたから信長に秘宝が奪えた」と言うべきだろう。
狂言回しの信長。劉備とタエ婦人の関係が結末に到ったことを祝福するように、不要になったギミックを回収して去る。


信長が一度ブタになって自力で呪いを解くシーンは、秘宝=呪いの特性を象徴的に示すシーンと言える。
ブタから戻った信長は言う。

小悪魔王のこのアタシが呪いなんぞに負けるもんですか

劉備と対照的な、信長の名乗り。現代にあっても、信長は「小悪魔王」の「名」を負い続ける。どこにも歪みはない。ならば、呪いを受ける道理はない。


あらためて、最後の劉備の名乗り。

私は…この家を守る家政婦、兼、タエさんのお友達です!

秘宝を、「劉備」の「名」を失った劉備は、「家政婦」に加えて「タエさんのお友達」という「名」を新たに得た。
家康、謙信と同じく、彼女もまたこの世に新たな「名」を得た者である。



ついで

そういえば、数えてみたのだが、劉備のタエ婦人訪問三日目に、劉備がブタとして初めて家に上がっている。
三顧の礼ネタはここか。