ヨスガノソラ 最終回終えて

出発点


最も印象に残った、心が動かされたシーンから始める。


最終回、湖で溺れるシーンでの、双子が互いの頭を押さえつけるようにして水に沈んだところの描写。
その後の陸上復帰後の悠の台詞「君が幸せになることを考えよう」みたいなところ。


前者は、あまりに不安で、恐ろしい描写である。互いが互いを傷つける関係であることの端的な表現。もうどうしようもない、という印象すら。
後者は、とても優しい、穏やかな場面として描かれる。
この断絶・ギャップの大きさは、湖の神話的な機能によって二人が生まれ変わることで解決された。


では、悠の言う「君(穹)が幸せになること」とはどういう状態だろうか。


考えるに、穹はあまりにも悠と同じものでありすぎる。
穹は悠に全面的に依存しており、それ以外の行動が生まれる余地すら無い。
変則的な構成の今作にあって、実質5話で構成される「穹ルート」は止めるもののない、必然的ですらある近親相姦の形である。これは恋愛とすら呼べない、あまりにも自然な姿ではないか。


穹の台詞として「悠と一緒にいられれば何も要らない」は繰り返し提示されるが、それこそが穹の唯一の望みのはずである。
二人が一緒にいる、という関係が壊れなければ、後は「穹の幸せ」とは「悠が幸せである」という状態と同義である。
※ 対して、本話途中までの、悠が「現実」との折り合いに悩み苦しみ、遂には二人が離れ離れにさせられそうになった状態は不幸である。


ここで、問題は悠自身の心の有り様、という所に収束される。
二人が抱き合う姿からも想起されるイメージであるが、悠と穹を、恋愛関係にある男女として見るのではなく、一対の不可分の存在、(悠=穹)であるとして見るべきではないか。


よって、本作の問題は、いかに(悠=穹)が心の平穏を獲得するかの問題、ということになる。


障害となるのは、「現実」即ち、世間、外界である。
そしてもう一つ、一葉、瑛、奈緒らの悠と婚姻した女性らもまた(悠=穹)の関係の障害であったと言えまいか。



神話的な見方

※ ちょっとアクロバティックかもしれないが。


ヨスガノソラ、全13話を通して見ると、


 ・ 物語の舞台となる神話的な集落に
 ・ 外界からの来訪者として(悠=穹)が電車でやってくる(右手から左手)
 ・ いくつかの並行時間の中で、土地の因縁の解消&女性との婚姻や、土地の人間との事件を起こし
 ・ 最後には集落を出て別の世界へと電車で旅立つ(右手から左手)


という構成になる。




…あんまりバックグラウンドの理論はないのだけど、「放浪し、行き着いた土地の因縁を解消してはまた旅に戻る神」というイメージにならないだろうか。
ただし、この神は二柱が一対である。


一葉、瑛、奈緒のルートでは、(悠=穹)の内、人間と悠が婚姻を行い、穹は悠と分断されて封じられた。
(神が人間と交わり、一部調伏されて、土着化した)


穹のルートでは、(悠=穹)は本来のあるべき姿でいたが、その姿に耐えられなかった人間(世間、「現実」)との確執から、心の平穏を失った。そして、神的装置である湖によって生まれ変わりを果たし、心の平穏を取り戻し、旅に戻った。


各ルートは、設定上は並行時間として解釈されるが、語りの上では連続した時間上にある。
そして前三ルートでは本来の姿を奪われていた穹は、最後のルートにおいて人間(世間、「現実」)に復讐するかのように悠と結びつき、(悠=穹)の姿を取り戻して舞台を去ってゆく。
この構造は、幼少期に悠を奪った奈緒に対して穹が行う復讐とも二重写しとなる。


穹ルートでは、悠に救われるかもしれなかった委員長が、(悠=穹)に取り残される形となる。


並行時間の中で複数の人間達に愛を与える悠の姿は、五話で語られる叉依姫の伝承と重なる。
人間たちが神の純粋さに耐えられず離れていった、というエピソードは、今回の(悠=穹)においては、純粋さを受け持つ神格の穹を切り離し、悠だけを残すことで回避できたかに見えた。
だが、穹ルートにおいて、穹は(悠=穹)の関係を近親相姦様の姿として人間に見せつけ、悠を奪い返し、土地からも自由の身となった。
叉依姫が「その悲しみを笑顔の下に隠し」たのとは異なり、(悠=穹)は自分(達)が幸せでいられる場所を探して旅立った。


終わりに代えて

後半は神話風解釈をただツラツラと並べただけになったが…。


まあ、白い髪の、いかにも神的な外見の、鏡写しのような男女の双子が神話にゆかりのある地にやってきて…、という設定からは、神話風の見方が想起されても仕方ないのではないだろうか。


近親相姦アニメと言えば確かにそうではあるのだけれど、やはり最終話陸上復帰後のあの二人の会話のくだりには、一般的に言うところの「恋愛」とは異質の、もっと根源的なものを感じてしまう。


或いは、今自分が書いたことは「双子が恋愛関係にあるのが珍しくて信じられないから、神話扱いにして理屈をつけて受け入れようとしている」だけなのかもしれないが。
神話なんてそんなもんかもね。


最後一点。ラストシーンで、うさぎのぬいぐるみが復活していたので、あれは現実じゃない世界、死後の世界なんじゃないか、的な話は上がっていたが。
或いは、あれは、もう一つの穹ルートで、そもそも、あの土地ではなく別の土地を目指していた、別の並行時間の悠と穹、という見方もできるかもしれない。
…メールの件とか不整合あるかもしれないが…、あの湖がリセットに絡んでいるかも、みたいなね。



追記


↑は後で清書しようと思って割と一気に書いたものだが、まあ、いいかと思ったのでこのまま出す。


「神話」とか言い出すと面倒な雰囲気だけど、そもそも神話自体が、ありふれた出来事の物語化だったんじゃないの、という所もあるので、まあいいか。


神話的に見るのがいいか、とか、誰かの意図によって神話的構成になったのか、というと、それはどうかなぁ、と正直思うのだけれど。
なんとなく、明確な意図は持っていなかったけど、部品同士が引かれあうようにして自然とこういう形を取ってしまって、振り返ってみればびっくり、みたいなものだったのではないか、と想像する。
トントン拍子に意図しないレベルでまとまってしまった、とか。